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清水由貴子さん自殺月命日、改めて「老親介護」を考える

清水由貴子さんが、父親の眠る静岡・御殿場市の富士霊園で死亡しているのが発見されたのは2009年4月20日。直接の死因は硫化水素を吸った自殺でした。母親の介護をめぐる疲弊や苦悩による「介護うつ」があったとされています。祥月命日から少し遅れましたが、きょうは月命日にあたります。

恵まれているとはいえない生い立ちの清水由貴子さん。父親を早くに亡くしたため高校を出てから芸能界で働き、自分の力で家を建て、墓も立て直し、それでも足りないと、母親の介護のために芸能界も引退しました。

同年代で似たような境遇の私はシンパシーを感じていたので、当時大変ショックを受けました。

昨日、山口百恵について書きましたが、清水由貴子さんも『スター誕生!』の出身。デビューの経緯は違いますが、榊原郁恵、高田みづえとの「三人娘」で売り出しました。

当時、『スター誕生!』の司会をしていた萩本欽一は、清水由貴子さんの不幸せな生い立ちを知り、「立っているだけで哀愁を感じさせ、この子が有名になることで幸せになるなら後押ししたいと思った」といいます。

「それは百恵ちゃんと清水由貴子の2人だけだったね」(『アサヒ芸能』2013年1月3.10日)

実は、そんな“憧れのゆっこさん”に、私は2002年9月にお話を伺ったことがあります。

場所はTBS(赤坂)近くのテレビ関係者が使う喫茶店「Dingo」。当時放送していたTBSの「ジャスト」でコメンテーターとして出演していたので、本番が終わってからそのまま直行していただきました。

私は業界の人間ではないので知りませんでしたが、テレビ・芸能関係の人が出入りする有名な店だそうで、担当マネージャーのFさんの提案でそこに決めました。

かつて西城秀樹も担当していて、物腰が柔らかく、芸能関係者特有のテンションを感じないので、一般人でも話ができる稀有な存在として知られていたFさん。

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私の妻が、ある雑誌のインタビューで清水由貴子さんのインタビュアーをつとめたときに、私も便乗していろいろ質問をさせていただきました。

いつものハキハキした物言いで、アイスレモンティーを注文した清水由貴子さんは、さっそく私の質問に答えてくれました。

清水由貴子さん

★ー「スター誕生」では、ピンクレディーを上回る評価で大会最優秀賞を受賞しましたね。

「あのときは家が裕福ではなかったので、ジーパンで会場入り。お昼は家から持参した塩むすびを、誰も見ていない非常階段のところで食べていましたねえ。それがもう、そのような望外の評価で大変嬉しかったです」

ーそういえば、デビュー曲の「お元気ですか」はギターを持ったジーパン姿、ミディアムのヘアスタイルで歌っていたのが思い出されますね。

「ギターは前から弾いていましたが、私はもともと三つ編みだったんですよ」

ーえ、そうだったんですか?

「あの頃の『スター誕生』は資生堂さんと提携していたんです。その関係で、出場者の10人ぐらいが決勝大会に進む前に、いちばん似合う髪型ということで美容研究所に連れて行っていただきました。私の場合、『この子はショートに』と一言アドバイスされ、三つ編みをバッサリ(笑)」

ー三つ編みのアイドル・清水由貴子も見てみたかったですね。

その後、歌手から「週刊欽曜日」では欽ちゃんBANDで活躍されたわけですが、これがすごい人気でした。私などは素人の分際で、アイドルからコミカルな役回りもこなせる器用なタレントへうまく移行できたんだなあ、などと見ていました。ご本人にはそういうねらいはあったのでしょうか。

「最初、大将(萩本欽一)には、『ずっとやってしまうとお笑いの仕事が専門になってしまうから、いろいろな仕事ができるように、1年間だけ出演してお笑いの勉強をしなさい』と言われたんです。

ところが、1年ぐらいして番組の視聴率が上がり、結局まる2年出演しました。欽ちゃんBANDは、みんなが一生懸命にやっているのにヘタだったので面白かったんだと思います(笑)」

ー萩本さんからは、どのようなことを言われました?

「大将は、あまり注意はしないんです。教えるというより自分で考えさせるという立場を取っていて、質問してはいけないんです(笑)。

舞台をやっていても、稽古の時と違うところで笑いが来るのはどうしてか考えながら仕事をしろと言われていました。

以来、たとえばレポーターの仕事をしていても、『お客さんの声を聞け』という大将の教えを意識しながら仕事をしています。大将の番組に出た人々は、ドラマの現場でも、『監督さんは今、何を感じているのかな』ということを私以上に考えているんじゃないかと思います。

怒るということもほとんどないですね。ただ、笑いに対しては厳しく、1度だけ、わざと間違えて笑いをとろうとしたのを厳しく怒ったのを見たことがあります。

あとは下ネタも禁止で、言うと一口1000円の罰金箱がありました。佐藤B作さんがいちばん罰金が多かったんですけど(笑)」★

私が話を伺った当時は、テレビのコメンテーター(TBSの「ジャスト」)のほか、「七尾響子弁護士2」(テレビ朝日)、「電太郎一家」(テレビ新広島)、「ともちゃん家の5時」(山梨放送)など仕事に恵まれており、そのひとつひとつの意義を楽しそうに語ってくれました。

それだけに、所属プロの芸映をやめた時に贈られた年賀状に、「レポーターでいろんなところへ連れて行ってもらったり、教えてもらったり、感謝。楽しかった。ありがとう」との引退の挨拶がしたためられていたのが何ともやるせなかった。

引退なんてもったいない、そんな時期だったと思います。

しかも、亡くなったのが父親の墓がある霊園です。

マッチ箱製造の町工場でコツコツ仕事をしていた父親を、彼女はいつも誇りに思っていたそうです。だから、最期はその父の眠る所で、という結論になったのでしょう。

彼女は引退も今回の自殺も、介護うつが関係しているといわれます。

彼女の自殺を巡っては、ネットではいろいろ取りざたされていますが、とにかく母親の介護が生前の彼女の生活にのしかかっていたこと間違いないし、また一般的に見ても、老親介護は大変なことなのです。

日本の社会では、主に長男・長女の場合、自分の人生を犠牲にして親の面倒をみることがあります。

私は、一度しかない人生を、そんな「親孝行」で消費してしまうのは不幸なことだと思っています。

私も長男でひとりだけの息子ですが、近所の人からは「親孝行な息子さん」と言わているようです。

どんな親でも親は親ですから、子供として親孝行は人の道として当然だと思います。

しかし、心の中を明かせば、そんなほめ言葉なんかいらないから、もっと自由に生きたかったと何度思ったかしれません。

自分の人生を引き替えにする「親孝行」ほどお互いが切ないものはないでしょう。

福祉が解決してくれればいうことありませんが、いつ実現するかわからない社会の成熟を待ってばかりもいられません。

年老いた親をもつ方々の、老親介護に対する事情や考えは様々だと思いますが、一人っ子はせめて配偶者と、兄弟のいる人はみんなで力を合わせて支えて欲しいと思います。

そして、悩みは自分だけで抱えずに、身内に頼んだり、友人に相談したり、愚痴を言ったりして、行き詰まらないで欲しいですね。

清水由貴子さんは、「これからどんな仕事がしたいですか?」という私の問いに、こう答えてくれていました。

「私は下町生まれの浅草育ち。それがそのまま大人になったような自分を大切にすることで、お母さん役を探しているときに、キャスティング候補の5人の中の1人に入るように努力したいな、という気持ちがあります。

月に一度行く美容院は、そういった『こう変わりたいなあ、こうしてみようかなあ』と考える時間でもあるので、私にとっては大切な時間なんです」

介護の激務は、彼女を美容院でリフレッシュさせる時間と心の余裕も奪っていたのかもしれません。

介護うつ

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  • 作者: 清水 良子
  • 出版社/メーカー: ブックマン社
  • 発売日: 2009/11/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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