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『子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争』で改めて問うアントニオ猪木

『子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争』(宝島社)という書籍を読みました。アントニオ猪木といえば、新日本プロレスの創業者であり、2005年までは同社のオーナーでした。なのに自分の会社と「10年戦争」とはどういうことでしょうか。プロレスファンでないとピンとこない話かもしれませんが、人間の価値観や生き方というものを考えるうえで興味深い書籍であると思います。

子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争
アントニオ猪木の引退(1998年)後、新日本プロレスでは、事件といえることがいくつかありました。

ストロングスタイルを標榜する新日本プロレスに、ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチの大仁田厚が参戦(1998年)。

しかも引退していた長州力と対戦。

橋本真也vs小川直也の、プロレスの流儀を破ったいわゆる不穏試合(1999年)

永田裕志の突然の総合格闘技戦参戦と、テレビ局との格闘技祭のトラブル。(2003年)

『子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争』(宝島社)は、それらの経緯や当時の関係者の動向を、プロレス専門誌『ゴング』の元編集長・金沢克彦氏がノンフィクションでまとめたものです。

たとえば、大仁田厚編。大仁田厚は直前まで金沢克彦氏とコーヒーを飲んでいたのに、カメラマンが到着するととたんに金沢克彦氏を敵のようにして威嚇するシーンを撮らせる。

そして、翌日、「気持ちが入り過ぎた」と金沢克彦氏に謝罪の電話を入れてくる。

その変わり身の早さと役作り、意外とまじめな人間性などの描写は、プロレスファンでも新鮮に感じることでしょう。

もっとも、事件そのものは、プロレスに興味がない人にとっては“なんのこっちゃ”の話。ですからここで詳しくは書きません。

たとにかく、これらの事件のすべてについて、背景に必ずアントニオ猪木という人がいて、猪木の嫉妬や大風呂敷が原因になっていたのです。それをもって「10年戦争」と題されているわけです。

嫉妬とコンプレックスと謀議によって世間を動かす正負のエネルギーを今なお放射状に発散する男。

それがアントニオ猪木です。

好き嫌いは別として、これほど「人間とはなんだろう」と考えさせられる生き様の人もいません。

アントニオ猪木は、自分がプロレスラーであること自体、世間に対してずっとコンプレックスを抱き続けてきました。

異種格闘技だの、政治への進出だの、事業道楽だのは、プロレスラーであることに満足できない生き方がよくあらわれています。

プロレスラーとしての格付けでは、ジャイアント馬場にずーっと嫉妬してきました。

若手時代は「ミスター不平不満」(門茂男日本プロレスコミッション事務局長)と言われていたほど、現状にイライラする上昇志向男で、「ジャイアント馬場ばかりがかわいがられる」と力道山の弟子育成に不満を漏らしていたといいます。

しかし、元プロ野球選手で長身でたぐいまれなる身体能力であることから即戦力だったジャイアント馬場は別格であり、実はアントニオ猪木だって、先輩レスラーたちを差し置いて若手時代からうしろの方で試合をさせてもらっていたのです。

いったんは「馬場の風下」に耐えられず日本プロレスを離脱しながら、除名にもならずすぐに出戻り。しかもその際、1000万円(今なら5000万円ぐらいか)の支度金までもらってナンバー2で復帰。その大金が、今世田谷にある新日本プロレスの道場のもとになった邸宅の購入資金に使われていると思われます。

猪木が仕事をする前からもらえた1000万円を会社に稼がせたのは、当時のエースであったジャイアント馬場です。

馬場からすれば、俺が血と汗で客を入れて稼がせた金なのに、出たり入ったりの猪木にくれてやっていい加減にしろよ、という思いがあったでしょう。

むしろ、ジャイアント馬場こそアントニオ猪木の優遇に文句を言いたいところでしょうが、ジャイアント馬場は利口だから決して何も言わない。

要するに、猪木の方が独善的でおぼこいのです。

結局、アントニオ猪木はジャイアント馬場とは袂を分かち新日本プロレスを設立しましたが、その後も、配下の自分を脅かしそうな人材が台頭すると、その都度、いがみ合わせたり、排除したり、別の話題でメディアの関心を奪いそのレスラーの売り出しを阻んだりして狡猾につぶしてきました。

これらの限りでは、どうしようもなく罪作りで陰険な人間です。

が、アントニオ猪木の場合、そうした負のエネルギーだけでなく、一方ではレスラーとしての研鑽という正のエネルギーによってバランスを取ってきました。

私たちも、ライバルに対する嫉妬から、「俺よりアイツの扱いがいいから気に食わない」と悪口をいうときがあります。

凡人はそこで終わり。だから不毛です。私は嫉妬する人が生理的に大嫌い。

しかし、猪木の場合、それを改善させようと自ら猛烈なトレーニングを積み、試合でも最大限自分のアピールできる点を模索します。

アントニオ猪木の側近だった新間寿氏や山本小鉄さんらは、リング上は最高、リングを降りたら最悪であるとの評価をしています。

もうひとつ加えておくと、アントニオ猪木は、マスコミに対しては対応が丁寧な人です。全日本プロレスは気難しくて大変でした。

猪木新日本プロレスの方が、馬場全日本プロレスよりもずっと開かれた会社であるように見えました。

もし私が、当時レスラーになりたいと思ったとして、ビジネス的な信頼感はジャイアント馬場の方が上であるとの認識をもっていても、総合的に判断して新日本プロレスの門を叩いていたかもしれません。

この選択、ねじれているというか、非合理かもしれません。でもアントニオ猪木のプロレスワールドには、それだけの価値があったのでしょうね。

この人はトラブルを何度起こしても、必ずまた金主が現われて勝負ができる。

不思議ですね、本当に不思議です。

そんな猪木も、すでに新日本プロレスの株を手放し、IGFという今の自分の団体も、業界をリードするだけのパワーはありません。

やはり、レスラーは現役でリングに上がってこそ価値のある存在なのでしょう。

70歳で巡ってきた今回の参議院選の立候補の機会は、最後の大勝負と思ったのかもしれません。
私が一票入れるかどうかは別問題ですが……

子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争 (宝島SUGOI文庫)

子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争 (宝島SUGOI文庫)

  • 作者: 金沢 克彦
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2012/05/10
  • メディア: 文庫

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