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みのもんたと板東英二、何が違うか

みのもんたといえば、ここのところのマスコミのバッシングの主役でした。セクハラ問題がでたと思ったら次男の事件。それをきっかけに、溜まっていたものが吹き出したようにマスコミはいっせいにバッシングしました。そのとき、どさくさ紛れというわけではないかもしれませんが、姿を表して復帰会見を行ったのは板東英二です。作家の高橋三千綱氏は、『東京スポーツ』(5月15日付)の連載「本日も楽天日和」で2人をとりあげ、その質の違いを述べています。

みのもんた。もうマスコミにサンドバッグ状態です。

これまでの、傲慢な態度や行き過ぎた罵倒に対するブーメラン状態なので同情できません。

しかも、自分の一方的な弁解だけを載せるメディアを選んで「釈明」しているので、逃げ隠れているわけではないのに、いっこうに巷間の理解を得られていません。得られるわけがありません。

一方、板東英二がやっと出てきて釈明会見したことについては、みのもんたほどの非難がありません。

しかし、よく考えてみると、この対応は変です。

みのもんたは別に、本人が民事や刑事の事件を起こしたわけではありません。

セクハラ騒動については、本人だけがシロと言い張っているようですが、少なくとも事件化したわけではありません。

次男はとっくに成人しており、みのもんたが責任を取るかどうかはモラルの問題でしかありません。

みのもんたが社長を務めるニッコクの談合疑惑もしばしば取り沙汰されますが、それは今回の降板の直接の原因ではありません。

しかし、板東英二は自らの脱税問題によって芸能界からいったん逃避したのです。逃げ隠れしたのです。

「申告漏れ」と称していますが、管轄税務署が注意するレベルではなく国税庁が動いているのです。

みのもんたはモラルが問われる問題ですが、板東英二は不法行為が問われているのです。

釈明会見を思い出しましょう。

みのもんたの釈明会見。ひとりよがりが多々ありました。

セクハラを「強いて言うならパワハラ」と言いはったのは、愚かな男、愚かな社会人でしかありませんでした。

次男に対して「バカヤロー」を連発するだけでしたが、親としてどう更生させるのか、というビジョンも決意も示せないのは、子に対する愛情を感じさせない愚かな父親でしかありませんでした。

しかし、それだけの話です。

はっきりいえば、その程度の愚かな社会人・父親は実は巷間にゴマンといるでしょう。

そこのあなた。あなたは「自分はそうではない!」と言い切れますか。

もちろん、そういう人間をかばうTBSについて別途批判すべき点はあるかもしれませんが、みのもんたの問題は、あくまでもみのもんたの人間性に対する評価です。

しかし、板東英二が問われている不法行為は、それだけではすまないでしょう。

ほとんど税金がかからなさそうな低所得層ならともかく、7500万円を「申告漏れ」するには、相当に収入があり、税金対策についても自分だけの判断ではなく、第三者からそれなりの指南を受けていると見た方がいいでしょう。

薬物取締りと同じで、実はその指南役こそが問題なのです。

板東英二が修正申告すればそれでおしまいではなく、なぜ「申告漏れ」があったのか、誰が指南したのか、指南役は他にもそのようなコンサルに拠って他の人を「修正申告」させたのかなどを調べなければ問題解決とはいえないのです。

ところがマスコミは、板東英二が言い訳に使った「植毛の経費」とやらを茶化すことしかしていません。

「7年間の植毛代としては多すぎるんじゃないか。」(JCastテレビウォッチ)

何てヌルいつっこみでしょうか。

突っ込むことに意義がある巧妙な言い訳ならともかく、はじめからデマカセとわかる言葉尻をいじっても真実への肉薄とはならないでしょう。

前置きがかなり長くなりましたが、高橋三千綱氏は、こうしたみのもんた極悪人、板東英二コッソリのマスコミ報道に対して異議を唱えるようなコラムを書いています。

東スポ1115高橋三千綱.png

高橋三千綱氏は、調子のいい、恥も外聞もない人間はいるが、いつかどこかで運が尽きる日が来ることもわかっている人間は「愚かな人間ではあるが腐ってはいない」。救いのないのは腐った人間だと述べ、みのもんたは「弁解がましい」が「腐ってはない」。板東英二は「臭いがする(腐っている)」と述べています。

コラムの一部を引用してご紹介します。
彼(板東英二)の涙ながらの謝罪会見、脱税ではなく申告漏れだった、すべては丼勘定だったことから起きたことだ、と無知であったことを弁解の盾にしていたが、それはないだろう。これまでに彼に関して流れた怪しげな交友関係や敏感すぎる金銭感覚は金融に通じた者でなければなしえない技だ。第一、税務署ではなく国税局が入ったということだけでも事件なのである。修正申告したからといって許されるものではない。(中略)
 それに反してみのもんたの場合は全然腐っていない。そういう臭いがしないのである。文藝春秋に書いた手記では、「馬鹿な息子をもった、そのために朝ズバを降板した、自分には喋ることしかない、また朝の報道番組に復帰したい」という愚かな息子を持った父親ならだれでも述懐する無念さを綴ったもので臭さはない。弁解がましいところはあるが、それは息子の件とは無関係のセクハラ疑惑や銀座豪遊などの個人バッシングで週刊誌から攻められた恨みに対してだろう。
もちろん、高橋三千綱氏は、みのもんたは間違っていないと述べているわけではありません。

「息子をコネで日本テレビに入れたのは公正な報道司会者のすることではない」「島倉千代子さんの葬儀を自分のカムバック舞台だとした発言も自己中心的すぎる」などと断じてもいます。

ただ、板東英二とは次元が違う、という話です。

マスコミの報道を額面通り受け止めていたら、こうした質の違いについて見きわめることはできないでしょう。

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