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野村沙知代さんを思い出し「平穏死を受け入れるレッスン」を読む

野村沙知代さんを思い出し「平穏死を受け入れるレッスン」を読む

今日は、昨年暮れに亡くなった野村沙知代さんの生まれた日です。85歳で、闘病もせず亡くなったことから、「ああいう形で亡くなリたい」と、「ピンピンコロリ」や“平穏死”が改めて評価されましたが、残された野村克也さんは、未だに気持ちの整理がつけられずすごく悲しそうですね。それが果たして理想的な亡くなり方なんでしょうか。私にはそうは思えないのですが。



石飛幸三さんの『平穏死を受け入れるレッスン』(誠文堂新光社)が大受けだそうです。
https://43mono.com/series/heionshi/heionshi_vol1/

大部分をWebで読むことができます。

私も読んでみました。

高齢者が食べなくなったら、“お看取りモード”という主張です。

高齢者に、胃ろうで食べさせることについて、「自分はしてほしくないのになぜ親に延命治療するのですか」と家族を非難するサブタイトルまで付いています。

胃ろうには積極的な役割もありますし、そもそも高齢者が食べられないからと言って「お迎え」とは限らず、歯周病や消化器疾患、その他の事情で「寿命」はまだあっても食べられない場合はありますから、一方ではこの方は批判もされています。

まあ、この読み物に限らず、極論がウケるのは、いつの時代も商業的なセオリーのようです。

そして、この手の本の支持者は往々にして、医学や論理を超えた宗教的な支持をしている信者なので、正直まともな議論がしにくいのですが、やはり疑問、異論、反論はきちんと述べておこうと思います。

先日亡くなった、大杉漣さんのインタビューから引用します。

大杉漣「申し訳ないけどもうちょっと生きたいなと思ってます。もうちょっとやりたいこともあるので。66歳でも希望はいっぱいありますよ」
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180302-OHT1T50259.html

今読むと、ちょっと泣けてくるインタビューです。

ここでひとつ、明らかなこと。

大杉漣さんのような亡くなり方は、昨今ウケにウケているピンピンコロリだということです。

ですから、ピンピンコロリに幻想をいだいている方に申しあげたい。

ピンピンコロリというのは、本人や家族の、明日への希望も心の準備の期間をも奪いさる、かくも無慈悲で残酷な面を持っているのです。

それでも、ピンピンコロリが良いと思えるのか。

それは、ただ「死までの道順」から逃げているだけではないのでしょうか。

闘病・介護は、辛くとも人生に必要な道順なんだと私は悟っています。

第一に、医学の力で回復する可能性があります。

第二に、回復しなくても「寝たきりだっていてくれるだけで良い」という考えの家族を救ってくれるものです。

第三に、残念な結果になっても、家族の気持ちの整理に必要な努力ができます。

ピンピンコロリでは、これらの機会がありません。

平穏死に至っては、「あそこで何もしないことが良かったのだろうか」という後悔は後々十分あり得ることです。

……といっても、ピンピンコロリや平穏死をアタマからけしからん、といいたいわけではありません。

私が言いたいのは、死生観にトレンドがあったり、それに左右されたれすることが不可解なのです。

ピンピンコロリとか、平穏死とか、目新しい「死生観」が登場すると、わーっとそこに人気が集中する。

冒頭にも書きましたが、平穏死論者によると、高齢者が食べなくなっただけで、即“お看取りモード”になる。

高齢者に治療をすると、「無理に生かしている」などというひどい評価をする。

「生かしている」なんて、どうしてそんな思い上がった表現ができるのだろうと思います。

それはたんに、歯周病や消化器疾患からくる食思不振に過ぎないかもしれないじゃないですか。

それでも「お迎えだ」と決めつけて“殺す”ことが、正しいことなんでしょうか。

人生の終わり方は、「正解のない」ものだと私は思います。

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生きとし生けるものは生きたっていいじゃないですか


それにしても、昨今、なぜ、そんな「きれいな死に方」が流行しているのでしょうか。

現代人が、身近な人の死に立ち会う機会が少なくなったことがあるかもしれません。

年寄りと暮らさなくなったし、家族葬ばやりで、他人の葬式に行く機会が減ってしまったことも、災いしているのかもしれません。

だから、死というものとリアルに向き合えず、実感としてわからないのではないか。

また、核家族化、未婚など、「将来近い人に介護してもらえる見込みがない」人がふえ、自分が認知症になったり寝たきりになったりしたときの不安もあるのではないかと思います。

その一方で、長男や末娘に介護が押し付けられる我が国の旧弊な慣習も、闘病・介護という人として当然のことを、人生の道順として受け入れにくくしているように思います。

「私のことなんて誰も介護してくれないだろうに、何で私だけが苦労する」

そんなふうに理不尽さを嘆く長男、末娘の方々はたくさんいらっしゃると思います。

さらに、経済合理主義の悪弊で、高齢者介護なんて「枯れ木に水をやるようなもの」という、かつての大臣のような発想もあるのかもしれません。←障害者福祉は無駄と言う発想と軌を一にしています。

しかしね、どんな理由だろうが、せっかく生きとし生けるものが、生きることを否定することはないと思います。

少なくとも、私は、自分の妻子が亡くなってもおかしくないところから生還した経験がありますが、本人たちのためにも私のためにも生きていてくれてよかったと思っています。

年齢だけでそう思ったわけではありません。

認知症の親、寝たきりの親を介護する。

大変でしょう。大変です。

認知機能も体力も、そこからV字回復するわけではないから。

でも、その介護はきっと、親子、そして人生を考える、人間として豊かになれる大切な期間になると思いますよ。

親の介護も、先祖の墓守も、兄弟に任せっぱなしの人は、さぞ楽でしょうが、そういう人たちには、知り得ない貴重な機会だと思います。

何しろ私は、義理も含めて親や家族の介護や先祖の墓守などをされた方は、それだけで人として信用することにしています。

逆に何もしていない人は、申し訳ないけど、さしあたって「苦労知らず」だと思っちゃうかな(笑)

第一義的には「ほしのもと」でそういう違いがあるだけで、別にその人の責任ではないことは承知しておりますけどね。

「平穏死」を受け入れるレッスン: 自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか? -
「平穏死」を受け入れるレッスン: 自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか? -
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コメント 21

pn

苦労知らずです(笑)
by pn (2018-03-26 23:24) 

うつ夫

人生の最期なんてリアルに考えてる人の方が少ないでしょう。
by うつ夫 (2018-03-26 23:37) 

ナベちはる

「理想の死に方」はあっても、実際のところは自分自身でも人生の終わり方はどうなるか分からないので、何が正しくて何が正しくないかというのはないと思います。

なので、「そうなるべくしてそうなった」というのが正解に近いものかもしれません…
by ナベちはる (2018-03-27 00:34) 

ゆりあ

我母の最近の口癖が、早くコロッと逝きたいわなので、イマドキだな~と思うのですが…
でも、やはりそれでは残される方の心残りを全然わかってないと言うか、自分だけ良ければ良いのかちょっと怒ったりするんですが。
やはり、急に逝ってしまっては心の準備が出来ませんよね。
by ゆりあ (2018-03-27 00:51) 

末尾ルコ(アルベール)

野村沙知代さんを思い出し「平穏死を受け入れるレッスン」を読む・・・わたし、テレビのニュース番組で「死」について扱った特集などが始まろうとするや否や、基本的にすぐチャンネルを変えます。浅薄で見てられなく、不愉快になること間違いなしだからです。そしてそのような特集の内容は、だいたいがビジネス臭がプンプン臭ってくるものです。「平穏死」という言葉もものの見事に「メディア用語・ビジネス用語」的ですね。こういうのに飛びつく人は間違いなく、人生の中で「死」についてまともに考えたことがない人だろうと思います。つまり、「まともな死生観など持ったことがない人」ですね。ということは、日本人のほとんどが「まともな死生観」を持っておりませんので、「目新しいもの」にすぐ飛びついて右往左往する人続出なのは当然なのかもしれません(笑)。
それにしても「極論」が受ける風潮にも困ったものです。「極論」の方が目立ちますし、「極論」でないと目立たないというのもあるでしょうが、「極論」という時点で眉に唾をするくらいの見識が必要ですよね。しかしその反対の人たちがあまりに多い(笑)。
大杉漣の場合はまだ「66」だったという以上に、外見的にも実に若々しく、コンディションさえよかったら、あと20年くらいは俳優としてもどんどん成熟した姿を見せてくれていた可能性が高いです。だからあの亡くなり方は本当に残酷なものでした。まあ「ピンピンコロリ」なんて言ってる人たちも、「死」について具体的に想像したことなどまったくないのでしょうね。

>死生観にトレンドがあったり

まさしく、「死」についてさえもビジネスに踊らされる日本人というところですね。わたしはそういうのが心底嫌で、浅薄でビジネスなテレビや雑誌の特集を見ると、木っ端みじんにしたくなるのです(笑)。
この話題、いくらでも書いてしまいそうなので、今回はここまでで自重(笑)させていただくことにします。

>文句を書いてまた世間を狭くしてきました(汗)

そのコメント、拝読しましたよ。わたしも同コメント欄に一筆入れさせていただきました(笑)。件のコメント書いた方、どのような人物かちょっとブログを見てみましたら、けっこう高齢の方のようですね。コメント欄がまさにプチで閉鎖的なコミュニティのようになっていました。ああいうのには関りを持たないようにしております(笑)。まあ昨今は年齢を問わずに妙な日本人意識を持っている人がいて、それがまた、出鱈目な知識・見識を基にした「意見」をネットへ書き込み、誰の目にも触れる可能性があるのだから困ります。
大坂なおみのスター性はまさしく全世界どこへ行っても通用する飛びぬけたもので、テニスの実力やポテンシャルは以前からですが、今年から勝利者インタヴューが海外メディアでバカ受けで、その一端は日本のメディアにも伝わっていますが、談話のおもしろさは今までのテニス界のどのスーパースターにもないもので、これはもの凄いアドバンテージだと思います。
そもそも大坂なおみは母親が日本人で当人も日本国籍を持っており、文句を言う人がいるっていうのが笑止そのものです。確かに米国籍も持っているのですが、現在のところ「日本人プレイヤーとしてやっていきたい」という希望を語っているわけで、これに対して感謝こそすれ、「日本人じゃない!」言ってディスる阿呆こそ、「日本人じゃない」というのがわたしの考えです。
それこそわたしが危惧しているのは、ここまでのスター性を発揮しだしている大坂を、米国が本気で引き抜こうとしないかということです。昨年までなら、(米国は女子テニス層が厚いから、そこまではしないだろう)と思っていたのですが、あのキャラクターを見せつけられると、米国も喉から手が出るほど欲しくなるのではないかと思うのです。だから、「大坂なおみ、米国流出絶対阻止」くらいの気分なのですよ(笑)。まあ、「日本人じゃない!」なんて言っている手合いはいずれ「過去の遺物」となるでしょうね。

確かに、棚橋やオカダよりもサンダー杉山らの方が知名度があるかもしれませんね。それにしても蝶野の発言は、本気で言っているのが半分と、「物わかりのいい人間と思われたい」(笑)というのが半分あるのではと推測します。例えば現在の新日のジュニアヘヴィーの試合とか、もう「何観てるか、分からない」状態です。空中殺法と言っても、佐山タイガーなんかだと基本はやはり「格闘」なんですよね。でも今のジュニアは、「二人で協力してぴょんぴょん跳ねている」という印象で、それこそ「どちらが技をかけているか」さえ分からないんです(笑)。ここまで来ると、「高度化した」と言うよりも、「別物になった」だと思いますね。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-03-27 02:00) 

kou

私が最近体験したのは「予告死」みたいなものので、その時はナなんて事を・・・を考え頭が回りませんでしたが、今考えるとその人は凄い人だった・・・と思えるようになってきました。
by kou (2018-03-27 07:35) 

Rinko

奇遇にも昨夜野村さんのインタビューをTVで観て逝く者、残される者の心の準備って大切だなーと感じていました。
by Rinko (2018-03-27 07:51) 

タンタン

人なんていつ死ぬかもしれないのに、何でこういう指南本みたいなのが売れるのか、私にはさっぱり理解出来ません。
by タンタン (2018-03-27 08:06) 

チャー

ピンピンコロリ、平穏死 色々な言葉を上手に組み合わせていますよね 迷惑をかけない 苦しまず でも生きていればこそのことも沢山あると思います 死んでしまったら そこで終わりです
by チャー (2018-03-27 10:08) 

arashi

今に始まったことではないです。母は、ぽっくり死ねるお寺というのがあるそうで、お参りにいっていました。私はまだ若かったので、気にもしていませんでしたが、よく言っていたのを覚えています。自分がその年になって、母が言っていた気持ちがわかるようになりました。苦しまないで死にたいと言うことだと思います。今は老人が多くなったので、目立つのでしょうね。
by arashi (2018-03-27 12:05) 

アールグレイ

野村沙知代さんや大杉蓮さんの突然死、びっくりしました。残されたご家族のことも思うと、つらいものがありますね。
死のあり方、本人ではなかなか選択は難しいものはありますが、考えさせられます。
実家の母も逝ってからもう6~7年になりますが、脳梗塞からパーキンソンも併発し、最後は寝たきりになり、闘病生活が10年以上になっていました。
実家に通う日々でしたが、胃瘻もうけ、ただ生きながらえてる状態でも、生きていてくれることだけで、わたしにとっては、心の支えというか心強いものがありました。でも、意識のはっきりしない母にとってはどうだったのだろうと悩む日々でもありました。
それぞれの環境や考え方も違いますが、いずれは来る死というもの、深いものがありますね。
by アールグレイ (2018-03-27 13:36) 

Take-Zee

こんにちは!
いろんな終末がありますが・・
ピンコロがいいですね!!

by Take-Zee (2018-03-27 14:02) 

makkun

この世の去り方は多種ありますが
突然死は仕方ないとしても痛み・苦しみは嫌ですね~
30代の頃に撮影で長野に行ったのですが
ビンコロ地蔵ニ「ナム~!」した記憶がありますが
効力を発揮して欲しいと思ってます(^^
ワンちゃんの年齢計算は犬種によって違うのですが
CoCoのミニチュウシュナウザーは
1年×5.46歳計算ですのでCoCoのお母さんは
60歳少し手前になると思いますが
19歳の初産でCoCoタンを産んでくれたようです。
by makkun (2018-03-27 15:09) 

johncomeback

妻より僕が先に逝く確率が高いと思われます。
僕が寝たきりになったら妻が介護してくれると
思いますが妻を誰が介護してくれるだろうか?
せめて経済的には困窮しないようにと思っています。
by johncomeback (2018-03-27 15:14) 

kiki

胃ろうは、
回復力がある若い人用だと聞いたことがあります。
昨年、亡くなった知人は母親(85歳くらい)に胃瘻をしたことを悔やんでいました。
義母も胃瘻をして義姉が後悔していました。
高齢者のとっては過酷な処置のような気がします。

by kiki (2018-03-27 15:30) 

たじまーる

かなり個人的意見ですが
死ぬなら自分が納得した死に方を
したいものですね。
周りに迷惑をかけずに死ねたらとは
昔から思ってます。
運悪く命が絶ってしまう場合でも
苦しんで死ぬのだけは
特に私の家族の中では起きて欲しくない
と思います。
by たじまーる (2018-03-27 18:22) 

ヨッシーパパ

人生の終わり方については、ちらっとは思うことはありますが、考えたことはありません。
そろそろ考えなくては行けない時期なんですが。
by ヨッシーパパ (2018-03-27 19:25) 

そらへい

若い頃は、粋がって知らない間に死んでいるのは嫌
死ぬ瞬間まで意識していたいと思いましたが
歳を取ってくると怖くなって、突然死も悪くないかな
と思うこともありますね。
でもそれでは遺されたものが困ることも考えます。
いずれにしても、死に方、自分では選べませんね。
by そらへい (2018-03-27 20:35) 

扶侶夢

>闘病・介護は、辛くとも人生に必要な道順なんだと私は悟っています。

同感です。物事の道理を見失っている事が多くなりましたね。その原因は………
by 扶侶夢 (2018-03-28 11:34) 

nikki

考え方は人それぞれですね。
by nikki (2018-03-28 23:16) 

えくりぷす

父方の祖母は、寝たきりでまさに胃ろうでなんとか命をつないでいます。その前は鼻から栄養剤を入れてましたが、苦しそうで見ていられませんでした(抜き取ろうともがくので、ミトンの手袋をはめさせられてました)。それが、胃ろうになって楽になったようで、時々は本人も周囲も笑うようになりました。その様子を見ているので、とても著者のような主張には賛同できないです。
by えくりぷす (2018-03-30 20:58) 

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