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安保条約論争

安保条約論争 1966,6,22

自由民主党、日本社会党、公明党、民主社会党、日本共産党と、5大政党が出そろった60年代だが、当時は政党によって方針がさまざまで、国論を左右する最も大きな争点の安保条約についても、各党が現在と違い反対の立場から独自の見解を持っていた。

その中で自由民主党は、この日「わが国の安全保障に関する中間報告」を発表。

「自衛隊の国連監視団への参加」「日米共同防衛体制の確立」「安保条約の10年の固定化」等を安全保障調査会の名で発表している。同党はその後、「日米防衛協力のためのガイドライン」によって、有事の際に日本の自衛隊が米軍を補完して共同作戦を行う参戦態勢作り(78年)を打ち立てたり、北大西洋での軍事分担強化と自衛隊増強(81年)を決めたり、アメリカの負担を分担すること(88年)を決めたり、安保条約の効果的な運用を表明(90年)と、安保条約と自衛隊をテコに日米軍事同盟の路線を一貫して、いっそう強力な方向に発展させようとしている。

これは、最近はアメリカの「テロ報復」に対する政府の態度で、また一歩踏み込もうとしている。

一方、野党の方は、日本社会党が同年8月31日の中央執行委員会で「安保廃棄でアメリカ軍撤退、積極中立」を表明。日本共産党も9月1日付の「赤旗」で「安保条約の即時廃棄、自衛隊の解消」を提起。民主社会党は5月14日に「安保肯定、有事駐留」、公明党は7月14日に「安保の段階的解消、自衛隊は当面存続」を明らかにした。

しかし、公明党はその後この重要な問題に見解を二転三転させ、自由民主党との連立含みと指摘された「安保存続、自衛隊合憲」(81年)の方針を決定した。この決定は、こんにちの自公連立の端緒となるものである。

日本社会党も80年に従来の方針をおろし、「自社さ」政権時には村山富市委員長(総理)が党大会にはかることなく一方的に政策を転換。有権者の信頼を失った同党は、民主党への分裂などもあって、こんにち、国政では議案提出権も持てない、首都東京では都議を1人も当選させられない「少数政党」に転落してしまった。
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