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『「医療否定」は患者にとって幸せか』の快哉と落胆

「医療否定」は患者にとって幸せか、という村田幸生氏(内科医)が著した書籍(祥伝社)を読んでみました。検索してみるとわかりますが、複数のブログでレビューが書かれています。要するに話題の書なんでしょうね。

著者は、『「スーパー名医」が医療を壊す』『なぜ患者と医者が対立しなければいけないのか?』など著述家としての実績もあります。そこで期待して読んでみたのですが、感想は……タイトル通りです。

「医療否定」は患者にとって幸せか

医療というと、ちょっと重いテーマですよね。

ただ、このブログ「戦後史の激動」で、以前に書いた「がんもどき」論に懐疑的な記事が、公開以来ずっとアクセス数が多く、医療に対する巷間の関心(といってもネットの話ですが)は高いのだな、ということを感じていました。今日は堅い話ですが、その続編という意味もかねて書いてみます。

つい先日の「日刊ゲンダイ」(2月19日付)にも、『「医療否定」は患者にとって幸せか』のレビューが掲載されたので引用します。これから書くことは、例によって私の駄文では十分に説明しきれない展開になるでしょうから、せめて本の内容はこんな感じであるということだけでもこの引用でご理解いただければと思います。
「病院で最期を迎えるのは不幸」「がんは治療しないほうがいい」「病院に行くから人生がつらくなる」という内容の本が大歓迎されている。しかしこのブーム、あまりにも一方的、一面的ではなかろうか、と主張する著者は現役内科医。ドラマに登場する「スーパー名医」物を批判した著書もある。
 その立場からすると、問題は病院や医僚ではなく、「老い」と「病気」にあまりにもろく神経質な社会の姿勢。衰弱や消滅を自然に受け入れられず、過大な期待を医療にかけて逆に腹を立てているというわけだ。
まず冒頭に書いた「快哉」の部分ですが、著者の「(現代の医療否定が)あまりにも一方的、一面的」という意見には私も賛成です。

たとえば「がんもどき」論ですが、信者とおぼしき匿名(so-netブログのアカウントの入っていない)の人々から、コメント欄に意図することと違うことも書かれたので、これを機会に改めて考えを書きます。

「がんもどき」の近藤誠氏は、昨日付けのやはり「日刊ゲンダイ」の連載で、「胃がんで1年以内に亡くなられた方は、手術や抗がん剤が原因」と、例によってセンセーショナルないい方で通常治療を否定しています。

が、この指摘は、たかがシロウトの私から見ても、非医学的でかつアンフェアな言い分であることに気づきます。

なぜなら、がんのステージごと、さらに通常の胃がんとスキルスがんなど、「胃がん」の種類を分けることなくごっちゃにして論じている点がすでに医学的な水準に足る前提となっていませんし、かりに抗がん剤で体が衰弱して亡くなったとしても、そのまま無治療の方が有意に長く延命できる合理的根拠だってないのに、その点には一切触れていないからです。

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これやったら当面助かる確率は3分の1だ。だが、やらなければ死ぬ。そういうケースであれば、3分の1の延命策に賭けるのは、医学的にも人道的にも別に間違ったことではありません(もちろん、その3分の1にはのらない、という選択も間違っていません。これは価値観の問題なのです)。

それを、不幸にして3分の2の方に入ってしまったことをもって、「それみろ、それをやったから死んだのだ」と近藤誠氏は言っているに等しいのです。それは3分の1の延命に賭ける、患者やその家族の気持ちをも結果論で踏みにじる暴論なのです。

「過大な期待を医療にかけて逆に腹を立てている」という指摘も、一理あります。

医療は無謬でも万能でもありません。これは間違いない。

私の火災における妻子の回復でも書きましたが、少なくとも脳神経の見たてで、医療がいかに無力であるかは十分わかりました。かといって、一酸化炭素中毒に対する集中治療がなければ、それ以前に妻子は命そのものが助からなかったこともわかっています。

つまり、こんにちの医療は課題はあるけれども、全否定することが現実的ではないレベルにあることは私は自らの経験で知っています。

ところが、通常医療の課題点をあげつらい全否定したらどうなるのか。該当する患者が通常医療と向き合わず、治せるものも治せなくなってしまうことだってあるわけです。それに対して否定者は責任がとれるのでしょうか。

では次に、同書に「落胆」したのはどんな点か。

同書の批判点は、他のレビューブログでも共通して書かれている通りです。

コレステロール論争など現在議論されていることについては、具体的なところは割愛しますが論理構成もずさんで、上記のような一定の意義あるくだりも、残念なことに、自分の立場からの被害者意識や言い訳として書かれているのです。

この記事は医師の方も読まれていると思うので、まことに申し上げにくいのですが、つまり、ぼくたち医師はできる範囲で頑張っているのだから、大衆は否定するな、違う意見を言うな、要求をするな、ということを、不適切な論拠を持ち出して述べている構成になっているのです。

ですから、少なくとも村田幸生氏の、医師としての世間知らずぶりと特権階級意識を感じてしまうのです。いいことも書かれているので、その点がすごく残念です。

具体例がないと説得力がないので一つ書きますと、たとえば、「「抗がん剤」は本当に無意味なのか?」という章があります。

結論として、私は自分の身内の体験から章名のような考え方をしません。が、抗がん剤をカタキのように叩く人たちがいて、化学療法を無意味有害の一色でとらえるムキが確かにあります。

著者は、それについて、無意味ではないということを説明しています。それはいいのですが、問題は、医師がいかに深く考えているかという言い分と、無知な大衆という「対立」からしか述べていないことです。

なぜ大衆がそのような意識を持つようになったのか。それは抗がん剤を否定的にしか描かない人たちがいるからです。マスコミか、なんちゃって学者か、民間療法の人たちか。その人たちがどう影響を与えているのか、分析し、批判し、第一義的に解決すべきはその人たちのありようではないでしょうか。

つまり、この著者には、医師対患者という構図しかなく、社会の中の医療という認識が足りないように思えます。

メディアでしばしば、疑似科学や民間療法批判の発言を行う小内亨という内科医がいます。

小内亨氏は私も知っている方ですが、小内亨氏はよくご自身が医師でありながら医師を批判、というか謙遜します。

曰く「医学部は学年制で忙しいから他の学部の学生のような青春時代もなく、学部卒なら卒論も書かず、目指す方向は医師だけで、転職もしない(つぶしがきかない)ので、世間知らずで議論もできないバカばかり」(第12回japanskepticsシンポジウムより)

たぶん、ただの「バカ」ではなく、その前に「専門」がつくのだろうと私は解釈しています。

ただ、それを言ってしまうと、医師でなくとも、教員でも技術者でも、いや、普通の会社員でも、「その道一筋」でまじめに頑張ってきた人ほど、一方でそうした弱さを持ってしまうのではないかなという見方もできます。

人間の研鑽は相対的な側面を持っているのだから、ひとつの道を究めたからと言って思い上がってはならない、ということではないかと思います。

医師の方は異論があるかもしれませんが、同書を、医師ならではの医療の価値と自身の脆弱さを語る構成と読むならば、そこには医師だけの問題ではなく、人間として、生きることの難しさ、奥深さを示唆しているように思えてなりません。

その意味でもまことに興味深い書籍です。

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

「医療否定」は患者にとって幸せか(祥伝社新書)

  • 作者: 村田 幸生
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2012/12/03
  • メディア: 新書


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