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24時間テレビ、従来から言われる2つの批判にもうひとつ追加する

24時間テレビ、従来から言われる2つの批判にもうひとつ追加する

『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ)が今年も放送されました。近年、その番組のあり方が批判されていますが、一方ではその「感動」を額面通り受け取り「嫌なら見るな」という声もあります。大切なのは「感動」でしょうか、それとも「真実」でしょうか。



『24時間テレビ 愛は地球を救う』がなぜ批判されるのか。

すでに言われているのは、この2点です。

1.障碍者を感動の道具に扱っていること
2.チャリティ番組なのに、出演者の報酬や会計に不透明や不見識な面があること


Facebookのいくつかある障碍者グループでは、たとえば、「車椅子の少年が」とか「義足で」とか、障害があるくせにこんなことが出来る、という上から目線の失礼な描き方で感動を誘ってることが許せないという意見が多数出ています。

障害はあくまでその人の一特徴に過ぎないのに、第三者が勝手に感動の売りにしてるのは偽善であると断罪するのはもっともだとおもいます。




が、一部には、「感動しているのだからいいじゃないか」「嫌なら見なければいい」という反論もあります。







しかし、障碍者不在、もしくは障碍者をダシにした「感動」を諒とするという了見では、じゃあそもそも番組の趣旨は何なの? と問わざるを得ません。

それに、事は「嫌なら見なければいい」では済まず、問題は、見た人が障碍者に対して間違った認識を抱きかねない点にこそあるのです。

障碍者は「別世界」でも「人生終わり」でもない!


最近は、『パラリンピック』の宣伝が派手に行われていますね。

パラリンピックは、透析患者を筆頭とする内部障害者を「障害者ではない」として参加資格を与えていない障碍者の中の障碍者差別という自己矛盾を疑わせる大会です。

『24時間テレビ』も同じです。

肢体障害者や知的障害者、内部障害者でも心臓病などの重篤な患者など、見た目が分かりやすい人だけを「障碍者」として選んでいます。

しかし、人工透析者、人工肛門者、脳卒中の後遺症など内部障害者にも、障害者手帳は発行されます。

要するに、「障碍者」というのは本来、可視化しにくいものも含めて、地位も資産も学歴も関係なく国民誰でもいつかはなり得るものなのです

いくら美化しようが感動話に仕立てようが、障碍者を「特別な人たち」扱いにしていることが根本的に間違っているのです。

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生きている以上前に進まなければならない


障碍者を理解できていない国民は、障碍者というのは「別世界の人たち」で、かつ自分がそうなったら「人生は終わり」という認識です。

私がびっくりしたのは、健常者だけでなく、一部中途障碍者にも、そのような認識があるという現実です。

その人たちは、「私がなんで障碍者ごときに成り下がらなけばならないのだ」と思っているのです。

これは、「障碍者」は誰でもなり得るという根本的な理解ができていないことによる「見下し」です。

もちろん、従前動いていた手足が不自由になることは、幸福なことではなく落胆して当然です。

しかし、生きとし生けるものとして大事なのは、そこで思考停止せずに、不自由になったらなったで、そこからどう生きるか道を探すことではないでしょうか。

なぜ、健常者なら探せて、障碍者になってしまうと探せないのでしょうか。

そんな了見では、たとえ中途障害にならなかったとしても、加齢で衰えていく自分と向き合うこともできなかったと私は思うのです。

いずれにしても、障碍者が望んでもいない感動などをでっちあげずに、そうした「人として生きることの真実」に肉薄するような番組であって欲しいとおもいました。

みなさんは、『24時間テレビ 愛は地球を救う』ごらんになって、どう思われましたか。

これならわかる〈スッキリ図解〉障害者総合支援法 第2版
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